前橋市の合併の歴史|14町村と合併、面積は7.71km²から約40倍

前橋市は、いつ、どの町村と一つになってきたのか。市の統計書の「市域の変遷」と、市のホームページの表から、合併と編入の年表を作った。

前橋市は1892年(明治25年)4月1日に市制を施行し、そのときの市域は7.71km²だった。1954年から2009年までに6回の合併で14の町村と一つになり、ほかに町村の一部の編入が7回ある。市域はいま311.59km²で、市は「市発足当時の約40倍」としている。

前橋市の市域は、1892年の市制施行時に7.71km²。いまは311.59km²で、市は「市発足当時の約40倍」としている。

合併は6回で、相手は14町村。最も大きいのは1954年4月1日の7町村との合併で、市域は11.98km²から81.02km²になった。

合併のほかに、町村の一部を編入したことが7回ある。人口は、市の表に合併・編入ごとの「編入人口」が載っている。

市制施行時の面積 7.71km² 1892年4月1日
合併した町村 14 6回の合併
いまの面積 311.59km² 市発足当時の約40倍

Q. 前橋市が富士見村と合併したのは何年?

① 1967年 ② 2004年 ③ 2009年

答えを見る

③ 2009年(平成21年5月5日)。2004年(平成16年12月5日)には大胡町・粕川村・宮城村と、1967年(昭和42年5月1日)には城南村と合併しています。

前橋クイズで、もっと解いてみる →

動画で見る

この記事の内容は、動画『数字で見る前橋|前橋の人口』の2章でも解説しています(YouTube、約6分。再生ボタンを押すと0:53の章の頭から始まります)。

動画「数字で見る前橋|前橋の人口」の表紙 ▶ 0:53から再生

対象範囲

前橋市の「前橋市統計書」令和6年度作成版の1章9「市域の変遷」(PDF 9頁、印刷4頁。都市計画課の資料)と、市のホームページ「前橋市の面積」の「市域の変遷」の表、「前橋市の歴史」による(いずれも2026年9月29日に取得)。

年表の年月日・合併か編入か・相手の町村・市域面積は、統計書の表のとおりに載せた。統計書の面積はha(ヘクタール)なので、km²に直した(100haが1km²)。人口は統計書のこの表になく、ホームページの表の「編入人口」「累計人口」を使った。ホームページの表には、何年の人口かの説明がない。

「合併」と「編入」

ホームページの表は、「合併」を「市町村の数の減少を伴うもの」と説明している。この記事では、統計書で「合併」とされているものを合併、町村の大字などの一部を市に加えたものを編入として数えた。

年表:市制施行から富士見村との合併まで

年月日形式相手・内容(統計書の表記)市域面積(km²)
1892年(明25.4.1)市制施行(前橋町から)前橋市市制施行7.71
1901年(明34.4.1)編入上川淵村北部〔六供、市之坪〕及び〔前代田、宗甫分、天川原、紅雲分の前橋市に属するものを除く〕11.88
1951年(昭26.4.1)編入桂萱村大字三俣の一部11.98
1954年(昭29.4.1)合併上川淵村、下川淵村、芳賀村、桂萱村、元総社村、東村、総社町81.02
1954年(昭29.6.4)編入南橘村大字上小出、川原の各一部(敷島地区)81.69
1954年(昭29.9.1)合併南橘村95.92
1955年(昭30.1.20)合併・編入清里村(合併)、新高尾村の2大字(大字鳥羽、大字中尾のうち一部)(編入)100.32
1955年(昭30.4.1)編入木瀬村の6大字(上大島、天川大島、野中、女屋、東上野、上長磯)106.26
1957年(昭32.10.10)編入城南村の2大字(小島田、下長磯)107.46
1960年(昭35.4.1)編入玉村町の4大字(西善、山王、中内、東善)、城南村の2大字(駒形、東駒形)113.40
1967年(昭42.5.1)合併城南村147.31
1968年(昭43.7.1)境界変更高崎市との大利根第二団地造成に伴う境界変更147.39
1971年(昭46.3.1)境界変更群馬町との境界変更(総社町高井)147.39
1991年(平3.4.1)面積変更国土地理院の測定方法変更による修正(公表)147.35
1993年(平5.9.1)境界変更伊勢崎市との境界変更(下増田町)147.34
2004年(平16.12.5)合併大胡町、粕川村、宮城村241.22
2009年(平21.5.5)合併富士見村311.64
2015年(平27.6.1)面積変更国土地理院の測定方法変更による修正(公表)311.59

前橋市統計書 令和6年度作成版 1章9「市域の変遷」。太字は合併。市域面積は統計書のhaをkm²に直した値。統計書は「境界変更は主に面積変更のあるものを掲載(土地改良事業等の境界変更は除外)」と注記している。

市制施行は1892年(明治25年)4月1日。市のページは、県内で最初、関東で4番目、全国で41番目の市制施行としている。最初の編入は1901年(明治34年)の上川淵村北部で、市域は11.88km²になった。

前橋市の市域面積の移り変わり。1892年7.71km²、1954年81.02km²、1954年95.92km²、1955年100.32km²、1967年147.31km²、2004年241.22km²、2009年311.64km²
前橋市の市域面積の移り変わり(統計書「市域の変遷」)

6回の合併で14町村

年月日合併した町村市域面積(km²)編入人口累計人口
1954年(昭29.4.1)上川淵村、下川淵村、芳賀村、桂萱村、元総社村、東村、総社町11.98→81.0247,607人152,167人
1954年(昭29.9.1)南橘村81.69→95.9211,221人163,765人
1955年(昭30.1.20)清里村95.92→100.322,707人166,955人
1967年(昭42.5.1)城南村113.40→147.3115,059人220,180人
2004年(平16.12.5)大胡町、粕川村、宮城村147.34→241.2237,849人320,950人
2009年(平21.5.5)富士見村241.22→311.6422,767人340,960人

面積は統計書、編入人口と累計人口はホームページの表による。1955年1月20日の行は、ホームページでは「清里村、新高尾村2大字の一部編入」とまとめて1行になっていて、人口はその合計である。

最も大きいのは1954年4月1日の合併で、上川淵村・下川淵村・芳賀村・桂萱村・元総社村・東村・総社町の7町村と一つになった。市域は11.98km²から81.02km²へ、約6.8倍になった。ホームページの表では、このときの編入人口は47,607人である。

その後、同じ1954年9月に南橘村、1955年1月に清里村、1967年に城南村と合併した。城南村は、それより前の1957年と1960年に一部の大字が編入されている。平成に入ってからは、2004年12月5日に大胡町・粕川村・宮城村、2009年5月5日に富士見村と合併した。

合併のときに増えた市域を足すと285.88km²で、市制施行からいままでに増えた303.88km²の94.1%にあたる(当サイトが統計書の面積から算出。1955年1月20日は同じ日の新高尾村2大字の編入を含む)。

合併・編入のときに加わった人口(前橋市の表の編入人口)。明治34年4月1日 上川淵村6大字編入 2,400人、昭和26年4月1日 桂萱村大字三俣の一部編入 954人、昭和29年4月1日 上川淵、下川淵、芳賀、桂萱、元総社、東村及び総社町合併 47,607人、昭和29年9月1日 南橘村合併 11,221人、昭和30年1月20日 清里村、新高尾村2大字の一部編入 2,707人、昭和30年4月1日 木瀬村の一部編入 4,021人、昭和32年10月10日 城南村2大字編入 881人、昭和35年4月1日 玉村町4大字城南村2大字編入 5,491人、昭和42年5月1日 城南村合併 15,059人、平成16年12月5日 大胡町、宮城村、粕川村合併 37,849人、平成21年5月5日 富士見村合併 22,767人
合併・編入のときに加わった人口(ホームページの表の「編入人口」)

合併した町村の、合併前の概要(位置・面積・人口・歴史など)は、市の「合併町村の概要」のページに、大胡・宮城・粕川・富士見の4町村について載っている。

2つの資料で違うところ

統計書の表とホームページの表は、ほとんどの行で年月日と面積が一致するが、違うところもある。この記事の年表は統計書に合わせた。

年月日内容違い統計書(km²)ホームページ(km²)
昭29.6.4南橘村大字上小出、川原の各一部(敷島地区)統計書にだけある81.69(なし)
昭35.4.1玉村町の4大字(西善、山王、中内、東善)、城南村の2大字(駒…面積が違う113.40113.92
昭43.7.1高崎市との大利根第二団地造成に伴う境界変更面積が違う147.39147.38
昭46.3.1群馬町との境界変更(総社町高井)統計書にだけある147.39(なし)

ホームページの表の更新日は2021年5月11日、統計書は令和6年度作成版(ページの更新日2025年4月14日)。どちらの値が正しいかは、資料からは分からない。

人口の長い推移は「人口の100年」の記事で

国勢調査で見た人口と面積の推移は、人口の100年の記事にまとめている。1950年に97,394人だった前橋市の人口(当時の市域)は、1954〜1955年の合併・編入をはさんで1955年に171,265人になった。いまの市域で数え直すと、人口のピークは2000年の341,738人である。

前橋データラボ

合併で市の人口は増えますが、合併した地域に住む人の数が増えたわけではありません。人口の増減を比べるときは、市域をそろえる必要があります。

このデータの限界

  • 合併・編入のときの人口は、市のホームページの表の値で、何年の人口か(国勢調査か、住民基本台帳か)の説明がない。統計書の「市域の変遷」には人口が載っていない。
  • 統計書とホームページの表で、面積や行の数が違うところがある(上の表)。年表は統計書に合わせた。
  • 統計書は、土地改良事業などによる小さな境界変更を載せていない。
  • 合併の経緯や、合併した町村のその後の変化は、この記事では扱っていない。

よくある誤解

「前橋市は平成の大合併で大きくなった」

平成の合併(2004年・2009年)で市域は147.34km²から311.64km²になりましたが、それより前の1954〜1967年の合併・編入でも、11.98km²から147.31km²に広がっています。

Q&A

いまの住所がどの旧町村だったかは分かりますか

平成の合併の地区については、市の「合併の記録」のページに合併後の住所表示の一覧があります。統計書の表には、編入された大字の名前も載っています。

出典

  • 前橋市「前橋市統計書」令和6年度作成版 1章9「市域の変遷」(ページの更新日2025年4月14日、2026年9月29日取得) (PDF) (ページ)
  • 前橋市「前橋市の面積」(2021年5月11日更新、2026年9月29日取得) (リンク)
  • 前橋市「前橋市の歴史」(2023年5月25日更新、2026年9月29日取得) (リンク)

データダウンロード

本記事で使用したデータは、CSVでご自由にダウンロードいただけます。ライセンスはCC BY 4.0です。

Noデータ名出典ダウンロード
134前橋市の市域の変遷(合併・編入・境界変更の年月日、市域面積、編入人口)1892〜2015年前橋市「前橋市統計書」令和6年度作成版、前橋市「前橋市の面積」CSVを保存

更新履歴

  • 2026年10月4日 公開